2023/9/15月例祭共励まとめ

🔹本日の御教え🔹
人を殺さないと言っても、心で人を殺すのが重大な罪である。
人を鉄砲で撃ったり、刀で切ったりしなければ、私は人を殺してはいないと言うが、それは目に見える。
目に見えない心で人を殺すことが多い。
それが神の心にかなわないことになる。
目に見えて殺すのは、お上があってそれぞれの仕置きにあうが、心で殺すのは神がおとがめになる。
心で殺すとは、病人でも、これは大病でとても助からないなどと言うが、これが心で殺すことになる。
人間の心では、助かるか助からないか、わかりはしないであろう。
また、あの人は死ねばよいと言ったりもする。
それがみな心で殺すのである。
そうではなく、どうぞ向こうが改心しますようにと、神に祈念してあげよ。
🔸共励のまとめ🔸
生きていると「あの人死んだらいいのに」「あの人がいなくなったら、私の悩みの種はなくなるのに」と思うこともあるでしょう。
また「こうあるべき」、「こうしたらだめ」という自分の価値観や正義感から、人を責める心がでてくることもあります。
人を責め、排除しようとすることで、一時は気持ちが収まるかもしれませんが、その気持ちはまた沸々と湧き上がってくるものです。
そういう心を持ち続ける自分は、救われた姿でしょうか。
この教えのように、相手のことを願うのは、相手を赦す(ゆるす)ことです。
それが、責めることから解放されることになります。
責めたい相手を祈るのは、信仰の世界でしかないあり方です。
人→人 (横軸だけの世界)
神様
↑
人 (神様との縦軸)
のように、人に向かう心を神様に向けると、横軸だけの世界に、縦軸が加わることで、立体的になります。
他人への感情を神様に向けることで、より豊かな視点が生まれ、新しい展開が生まれます。
責めたい相手のことを祈ることは難しいことではありますが、まずは形からでもいいので初めてみましょう。